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人権メッセージ

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更新日:2024年2月2日

「人権メッセージ」は小学生を対象に東京法務局・東京人権擁護委員協議会の主催で実施しています。人権について文章を書くことによって、人権尊重の重要性、必要性について理解を深めるとともに、豊かな人権感覚を身につけることを目的としています。今年度「人権メッセージ」は5校の児童のみなさんに参加していただきました。人権擁護委員による審査会で参加校各校の代表作品とその中から区の代表作品として人権メッセージ1編を選定しました。台東区は、選定された各校の代表作品の児童に対し、台東区長賞、また区の代表となった作品の児童には台東区長特別賞として表彰を行いました。受賞した5編の作品を掲載します。

※個人情報保護のため氏名は掲載しておりません。

目次

台東区長特別賞

「女性らしく、男性らしくの定義とは」東泉小学校 6 年

 「2013年1月31日」。この日が何の日だか、わかりますか。この日は、フランスで女性のズボン着用禁止の条例が、213年越しに廃止された日です。
 私は、この条例を2022年に放送された朝ドラマの「ちむどんどん」で知りました。くわしく調べてみたら、フランスでは、ズボンは男性のための衣服として認識されていました。条例には、「男性の格好をしたい女性は警察に報告しなければならない」と規定されていました。これを見て、私はなぜ警察に報告までしないといけないのだろう。なぜ男性の衣服と決めつけるのだろうと疑問しかわいてきませんでした。私は男性がスカートをはいても良いと思うし、女性がズボンをはいたって良い。でも実際に小学校では、女子がズボンをはいても良い、男子がスカートをはいても良い、ということは、あまり聞きません。それは、男はこうあるべき、女はこうあるべきという男女の差別につながっていくのではないかと考えました。これからはどんどん、どちらも認められるような学校が増えてほしいなと思います。他にも丁寧なすわり方が男子と女子でちがっていたり、小学校では、あまり、ジェンダーについて深く考えられていないのではないのかと思います。
 昔は今より女性に対する差別がひどかったと思います。ですが、少しずつ女性に自身の体を管理する自由を与えたり、女性が自身の名前で銀行口座を開く権利を獲得したりと色々な自由ができました。そして、男性がスカートをはいても良い。男性が男性らしい仕事をしなくても良いというように男性にも様々な自由が増えました。みなさんも街中で、男性が女性らしい格好をしていても、女性が男性らしい格好をしていても偏見をしたり、決めつけをせずに、「みんなちがって、みんな良い」という考えをもってほしいと思います。

台東区長賞

「はだいろってダメ」上野小学校 6年

 ぼくは絵をかくことが好きだ。
 ある日、絵の具を買いに行ったときに、はだいろがうすだいだいという名前になっていた。なぜはだいろという名前にしないのかと思ったぼくは、家族に聞いた。理由はこうだ。世界のみんなが思うはだいろと日本の人が思うはだいろはみんなちがうからといっていました。
 SNSでは、根強い「肌の色の何が悪いの」という反論があり、アジアや中東で売られていた「肌を白くするためのクリーム」の販売を中止しました。
 ドイツの鬼ごっこの名前は「黒い男が怖い人」ドイツの人の多くが「黒人に対する人種差別」に鈍感なのは、昔ながらの子供たちの遊びの鬼ごっこの名前にも入っているからです。
 このように世界には人種差別が数多くあり、世界の人は今も人種差別にこまっている人がいます。
 ぼくの街では、三社祭という大祭があります。この三社祭では世界各国から海外の人たちがおとずれています。このように台東区の三社祭では肌の色に関係なくだれもが平等に参加することができます。また、観光客の多い浅草でも差別が少なく、積極的にコミュニケーションをとろうと英語や中国語を話せるようにしています。
 ぼくは火消しの九代目として、これからも台東区や浅草で人種や肌の色で差別されることがないような場所にしたいです。

「年齢差別のない自由な社会へ」平成小学校 6年

 僕は年齢差別に対して、姉弟なので、いつでも弟が悪かった時も、「あなたの方が年上なんだから、そんなことくらいがまんしなさいよ。」などと言われて、「なぜ年上だ。」という理由だけで僕が怒られなければならないのかと疑問に思い、おかしくないかと不思議に思った。このような経験から、僕は年齢差別をテーマにした。
 実際にインターネットを使って調べてみると、「若いんだから…。」「いい年して…。」や「~するには年をとりすぎている。」など日常でも、無意識のうちに年齢差別をしている人もいることが分かった。それに対して、僕は年齢のせいでやりたい仕事につくことができなくなったり、年齢のせいでどんな努力をどれだけしても、年齢差別という大きなかべをうちやぶることができなくなってしまっている。実際にそのことについて調べたグラフによると、約六割の主婦が年齢差別を感じているという事実があった。年齢のせいで好きなことができなくなったり、そんなことにしばられてこれからも生きていくのは、とてもつらいことだと思う。
 このように、年齢差別のせいでやりたい仕事につけなくなったり、自分の夢を叶えられず、年齢差別という大きなかべを社会はうちやぶることができずにいる。年齢という一言で、自分の人生が大きく変わってしまった人もいるかもしれない。だから僕は、このような社会を少しずつでも良いから、よりよい社会を目指すためにも、年齢差別という大きなかべをうちくだいていきたいと思う。

「見えない線がなくなるように」根岸小学校 6年

 私は人権とは、「みんなが自分らしく生きること」だと思います。では、なぜ病気や障がいという個性を持っている人は、「かわいそう」という感情を持ったり、変な目見るのでしょうか。
 私がこう考えるのには、理由があります。
 私には、側弯病という病気があります。そのため、体育の時間以外では、コルセットというものを付けています。すると、きがえをする時に、友達から、「かわいそう」と言われたり、事情を知らない人から、「なんでコルセットをつけているの?」などと言われることがあります。みんなが心配してくれるのはうれしいけれど、ときどき少し「なんでそんなことを言うのかな」と思うときがあります。理由は二つあります。
 一つは、これは、百人に一人は持っていると言われているのに、学校では、私だけがみんなとちがう、という風に聞こえます。
 もう一つは、これも私の個性だと思うからです。例えば、運動神経がいい人がいても、なんで運動神経がいいかや、変な目で見る人はいないからです。
 私は、少し心配したり、手伝えることがあったら手伝うことはいいことだと思います。しかし、あまりにも心配しすぎたり、変な目で見るのはおかしいと思います。なぜなら、その言動は、すべてをみたしていて、不自由のない人が何か不自由な人へ対するものであり、人を傷付けてしまうからです。こうならないようにするには、相手の気持ちを考えたり、病気や障がいについて調べて理解したり、差別やへん見をなくすことが大切だと思いました。差別やへん見をなくことは大変なことかもしれないけれど、みんなでみ近なところから一歩ずつ見えない線を消していきませんか。

「当たり前は差別の種」大正小学校 6年

 ぼくはもともと人権について、ある程度知っていました。けれど、あまり実感していなかったため、もう一度今起こっている差別と、人権について調べてみました。
 そのと中で、身近にある差別について書かれた資料を見つけました。その資料には、当たり前と思っていることや、思いこみによって、差別が生まれてしまうと書かれていました。また、自分の知らないうちに自分が差別してしまっていることがある、とも書かれていました。
 ぼくは、その資料を読んで日常をふり返ってみました。そうすると、ふだん当たり前と思っていることが多くあることに気がつきました。例えば、人前で話すときには大きな声で話すということです。ぼくは、人前で話すことが苦手ではないし、大きな声も出せるのでそれは、当然だと思っていました。けれど良く考えると、人前で話すことが苦手な人がいるし、大声を出すことができない人もいます。このような、当たり前や、思いこみによって差別されてしまう人がいるのだと分かりました。そして本当に差別している人は差別していることに、気がつかないということが分かりました。
 ぼくはこれから、当たり前だと思っていることを見直して、差別していないか考え直していきたいです。みなさんも当たり前や、当然だと思っていることについて、見直してみてください。

お問い合わせ

人権・多様性推進課

電話:03-5246-1116

ファクス:03-5246-1139

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